No.022 2000.11.27
ここ数日、暖かい日が続きました。
いつもの散歩の足を伸ばして、神田川沿いをゆっくりジョギングしました。
新宿区と中野区の間の神田川には、石碑があり、そこには名曲「神田川」の歌詞が刻まれています。
そこに石碑があるのは知っていたけど、まさか神田川の歌詞が刻まれているとは気が付きませんでした。
石碑といえば、町の由来だとか歴史だとかが、小さい文字で延々と刻まれているものだという先入観が、刻まれている文字を見えない文字にしてしまっていたようです。
田舎に居た頃「神田川」の映画を見たことがあります。
目の当たりにする神田川は、あの映画の風情とは異なり、まわりの景色もカラフルに彩られています。
24色のクレパスでは描ききれない、色鮮やかな時代になったということなのかもしれません。
そういえば、こっちに越して来た当初はあった銭湯の煙突も、いつのまにか無くなっている・・・
村田さんのおばあちゃんは、神田川沿いの家に住んで今年で50年経つそうです。
神田川の変遷を、遠い目をしながら話してくれました。
洪水になりかけた話、川に入っちゃいけないっていうのに毎年流される人の話・・・
太陽の光が暖かく背中を押すように、話は戦争中の満州、大連の話へ・・・
そしてもっと記憶はさかのぼって関東大震災の話まで・・・
大正4年生まれのおばあちゃんの記憶には一点の陰りもなく、日にちまで正確に伝えてくれます。
そのおばあちゃんの記憶力に注目して、最近、区の依頼でおばあちゃんは、新宿区の変遷史をまとめたそうです。
今度読ませてもらう約束をして、おばあちゃんがお家に入るのを見届けると、コチサは少しジョギングの足を速めました。
ぽかぽかの太陽も、つるべ落しの夕べには勝てずに、少し寒くなってきたからです。
「若かったあの頃、何もこわく無かった・・・」
神田川は相変わらず、新宿区と中野区を隔てて続いています。
おばあちゃんは、神田川の歌は知らないって言っていたけど、おばあちゃんの女学生時代の話と、それから40年以上も後に生まれた名曲「神田川」・・・
いつの時代にも、いつも輝いている人がいたことを、川の流れはただゆっくりと流していく。
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