No.117 2001.7.18
コチサが「小さい」という話(第91号)で思い出したお話を・・・
コチサは実際の身長より小さく見えるそうです。
そして人は「背が低い」とは言わず、「小さい」という表現を使います。
そこには、人間的に「小さい」という意味があるのかもしれません。
・・・・・
その事に、コンプレックスを感じだしたのは最近ですが、実はその事に対する強迫観念はかなり前からあったようです。
ところで、世の中には深く考えなくて「当然の事」と受け入れていることって良くあります。
コチサはそれが機械がらみだと、特に素直に「科学・技術の進歩」を疑いなく受け入れてしまうところがあります。
電車の自動改札機を通る時、子供だと「ピヨピヨ」と鳴きます。
「そんなの子供切符を入れるからじゃん」というのは冷静に考えれば誰にでもわかりますが、コチサはそういう疑問さえ考えたことはありませんでした。
「機械が大人か子供かを判断して、子供が通った時、「ピヨピヨ」と鳴るんだ」
いっぺんそう信じたら、「どうやって判断するんだろう?」とか疑問は持ちません。
「機械はすごいんだ、きっとなんか科学的な装置が入っているんだろう?」・・・
そう思っていました。
で、いつの頃からか、一抹の不安が・・・
もし「小さい」人間のコチサが、自動改札機を通った時「ピヨピヨ」となったらどうしよう?
それは、機械に科学的に「お前は、小さい人間だ!」と認められてしまうことです・・・
以来、自動改札を通る時、「ビクビク」の日が続いていました。
そしてついにその時がやってきました。
もう数年前の事ですが・・・
お友だちの視覚障害者のみっちゃんをサポートして案内した時のこと。
当時のみっちゃんは、車椅子を使用していました。
みっちゃんは駅の人に、コチサの事を、
「この人、介護の人です」
と告げました。
そしてみっちゃんは、駅員の人に車椅子を押してもらって改札内に入りました。
コチサも駅員の人から切符をもらって、自動改札を抜けようとしました。
その時です!
「ピヨピヨ、ピヨピヨ」
うわぁー、ついにこの日がやって来た!
コチサが「小さい」と世間が、世界が、認めてしまうときがついに・・・
でも、なんでよりによってこんな日に・・・
みっちゃんを送るという使命を担った、こんな日に・・・
呆然と立ち尽くすコチサ・・・
駅員
「どうしました?」
コチサ
「今、ピヨピヨって・・・コチサ、大人なのに・・・」
駅員
「あぁ、申し訳ありません。介護の方ということなので、簡単に子供切符で半額にしたんです」
コチサ
「?」
今回のような場合、付き添い(介護)という立場の人は電車料金は半額になるそうです。
本来なら、ちゃんと申告をして、手続きをして「料金半額」の印をもらって入場するのですが、首都圏の込み合った改札口の状況で、駅員さんは子供切符で半額にする事で、その手続きを簡略化してくれたようです。
そして、自動改札の「ピヨピヨ」は、別に最新式の科学や技術の力で、「大人、子供判断装置」を組み込んでいるのではなくて、ただ単に「子供切符」を挿入された時に「ピヨピヨ」と鳴るんだという事がわかりました。
コチサ
「ふぅー、やれやれだぜ」
みっちゃん
「どうしたの?」
コチサ
「いや、別に。大人になるって事は大変だよ、ね、みっちゃん」
みっちゃん
「?」
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