「頑張ってるコチサに」励ましということなのか、「暴走しすぎないように」という戒めなのか、それとも「読書好きなコチサへ」というプレゼントの印なのか・・・ コチサはよく新刊の「自己啓発書」の類の本をいただきます。 コチサはよっぽどひらがなが少ないとか、全部が英文とか、そういう難しい本以外は何でも読むようにしているので喜んで読ませていただいています。 特に自己啓発書というのは、結構面白くて・・・ その本で誰が一番「自己啓発」されるかっていうと書いた本人なんじゃないかと思いながらも、なるほど納得とページをめくります。 :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: コチサ 「確かにおっしゃる通りでございます。でも理屈はわかってもそれが実践出来ないのがまた人間の弱さでも良さでもありまして・・・」 :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: などと、自己弁護をしながら読んでいたりします。 でもこの自己弁護、読んでいるコチサが言うのは良いのですが、書いている著者が言ったらそれは何か違うんじゃないかと・・・ ところで「自己啓発書」評論家のコチサは、自己啓発書はその内容には直接関係なく、アプローチの仕方に2種類あることに気がつきました。 直接は文字にうたってなくても、先ほどのコチサの愚痴の変形版で、 「じゃぁみんなこの通りにすれば、みんなが大成功して幸せになっちゃうじゃん」 という読者の質問に対しての答えです。 どうやらそれがそれが2種類あるようなのです。 一つは、 「当然です。だからみんなが実践してみんなで幸せになりましょう」 というアプローチのもの。 そしてもう一つは、 「その通りです。でも人間と言うのは選ばれた意志のある人しか実践できないものです。だからあなたはその選ばれた人になって成功を手に入れましょう」 というアプローチのものです。 :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: 学校の通知表で言うと、「絶対評価」と「相対評価」の違いみたいな感じです。 クラスの全員が良い成績を収めればみんなが5段階評価の「5」がつく絶対評価と、成績に関係なくクラスの5%が「5」になる相対評価です。 どちらも読者に幸せや成功の道へのやる気をアピールしているのですが、たくさんの本を読ませていただいて、コチサはやっぱりみんなが成功して幸せになれるって言う方が楽しくて好きだなと思いました。 :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: 心の声 「それって、どうせ本の中の世界だから、とりあえず楽しい方が良いなってことじゃないの?」 コチサ 「違わい!幸せの全体量が決まっていてそれを取り合うっていうのより、幸せは無限に増えていくっていう考え方の方が好きなだけだい!」 心の声 「給食のお代わりのスープみたいなのじゃ嫌なんだ」 コチサ 「そう、コチサ食べるの遅くて、大好きなカレーのお代わりに行った時は既に食べられて無かった・・・^^;」 心の声 「あの悔しさ忘れられないね」 コチサ 「全くだい(>_<)」 :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: 給食のスープの量は決まっていても、この空間に縦横無尽に広がる幸せの粒子は「無限」に増え続けて欲しい・・・ それを信じる人たちがどんどん増えていく「自己啓発書」を、これからもどんどん読んでいきたいです。 本、遠慮しないでこれからもじゃんじゃん送って下さい。 (あっ、図書券でもいいじょ(^^ゞ) |
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