コチサの大好きなパンはチーズパンです。
さいの目に切られたチーズが、これでもかというくらいパンの中に詰め込まれているのが好きです。
そして、それがフランスパンだったりしたら大満足です(^o^)
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漫画や雑誌などで潜在意識に埋め込まれている人物像を具現化した現実に、出会う事があります。
例えば、ハンチングにスカーフ、パイプをくねらせてちょっとシナを作って歩いている年配の男性を目にすると、「おフランス」という言葉が浮かんできます。
(さすがに最近は見ることは無いですが^-^;)
絵本に出てくるパン屋さんは、丸々と太ったおじさんで、まん丸メガネと白い服、白い帽子がトレードマークです。
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「パンの里」は、コチサの近所の、そんな絵に描いたようなパン屋さんです。
だからおじさんが持つチーズフランスは、とても小さく見えます。
つい二つくらい食べられそうだと買ってしまうと、大変な事になります。
コチサの手に渡った時、チーズフランスはフランスパン本来の大きさに戻っているから、さすがに一気には食べきれません。
でも食べ残って少し固くなってもこのチーズフランスは、水を入れたコップと一緒に電子レンジで数秒温めると、美味しさは復活します。
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パン屋のおじさんは「マリオ」と言います。
(日本人ですが、コチサが勝手につけました(^^ゞ)
一緒にお店を切り盛りする奥さんは定子さんと言って、チャキチャキしたやはり小太りのおばさんで、おっとりしたマリオおじさんと名コンビです。
(この名前もコチサが勝手につけました(^^ゞ)
めったにお店には出てきませんが、工房では息子さんのルイージが修行中で、手取り足取りパン作りのノウハウを教わっています。
このお父さんとお母さんの子供なので、ルイージもやっぱり生まれながらにして誰が見ても、絵本の中のパン屋さんです。
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コチサ
「ε=ε=┏( ・_・)┛ ・・・はぁはぁ、チーズフランスまだあります?」
定子さん
「大丈夫よ、いくつ?」
コチサ
「明日は水曜日で、ここお休みですよね。明日の分と合わせて二つ下さい」
定子さん
「いつもありがとうね」
コチサ
「なんのなんの」
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お店が一段落した夕方や夜などに、町を歩いているマリオおじさんとルイージを見かけることがあります。
推定年齢、マリオおじさん50歳、ルイージ23歳です。
二人ともお店の時と同じ、まん丸メガネと白い服、白い帽子です。
白い服には、長年のパンを焼く時に出来たと思われる茶色い色あせがあります。
それは、ルイージよりマリオおじさんの方が目立ちます。
二人は身長175センチ、体重120キロです。
(コチサ推定(^^ゞ)
後ろからだと、全く同じ体型で、どちらがどちらかかはわかりません。
二人を見ていると、美味しいパンを焼くには、あの体型が絶対に必要なんだと思えてきてしまいます。
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コチサ
「チーズフランス下さい」
定子さん
「ごめんなさい、今売れちゃったのよ。あと1時間後に来てくれる?今日は追加を焼いてるのよ」
コチサ
「了解しました。出来立てを狙って再び参上つかまつる」
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悪い予感というのは、なにか気持ちがムズムズしてジワリジワリ押し寄せてくるものですが、悪い直感と言うのは、突然に裏付けも何も無いのに、それが事実と、心に飛び込んでくるものです。
その日、焼きたてのチーズフランスを再び買いに行ったコチサは、トレイにパンを積んで運んでくるマリオおじさんを見て、それを感じてしまいました。
全くの他人、それも週に2回か3回パンを買いに行くお店の、一度も言葉を交わしたことのないおじさんに、コチサはとても嫌な直感を感じてしまいました。
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その数日後、桜が満開の近所の公園でコチサが一人花見をしていると、三つ先の桜の木の下で、一休みのお花見をしているマリオおじさんとルイージを見かけました。
コチサからは逆光で、その姿は影でしか見えなかったけど、その独特の体型は疑いようもありません。
そして偶然ですが、次の年の一人花見の時にも、コチサはマリオおじさんとルイージを見かけました。
やはり逆光でしたが、ルイージのその体型は疑いようもありません。
でもその横で、半分くらいに小さくなってしまったマリオおじさんは、逆光のもとでは、もはや一般のヒトと見分けがつかなくなっていました。
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コチサ
「チーズフランス下さい」
定子さん
「はい。いつもありがとうね」
コチサ
「なんのなんの」
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時間はいつものように流れ、いつもと変わらない習慣が続きます。
時間は、いつも必ずやってきて、いつもと変わらない生活を保障してくれるものだと、つい考えてしまいます。
そしてこのパン屋さんを一歩出ると、時間と言うものはそういうものだと信じたくなります。
でもその時パン屋さんの中で流れていた時間は、どんなものだったのか・・・
マリオおじさんや、定子さん、ルイージにとっては違ったものだったように思います。
チーズフランスは相変わらず美味しくて、コチサは、一本か二本か?食欲かダイエットか?いつも葛藤します。
そしてコチサが相変わらずそんな変わらない葛藤の中を続けている中、マリオおじさんの顔は、今では逆光で見なくても真っ黒になっていました。
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お店のシャッターが閉まってから三ヵ月が経ちました。
ショーウインドウから見える店内の様子は、相変わらずお店が閉まりだしてから変化がありません。
前日に慌しく休業を決めたと思われる店内は、トレイや陳列棚、レジフロントなどもそのままです。
この三ヶ月で変わった事といえば、すき間から床に投げ込まれる郵送物が小さな山を作りはじめたという事くらいです。
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そしてまた三ヵ月が経ちました。
ショーウインドウから見える店内の慌しさはそのままでしたが、郵送物がなくなっていました。
誰かが取りに来たようです。
お店が閉まってそろそろ一年が経とうとした頃、小さな路地に、小さなユンボがギコギコ体を揺らしながら入って来ました。
大きなパン屋のおじさんの、小さなパン屋さんは、もっと小さなユンボの手にかかって、あっという間に解体されてしまいました。
ユンボが去った後、コチサはまだ砂煙が残るかつてのパン屋さんの前に立って気がつきました。
コチサは何年も通ったけど、マリオおじさんと一言も言葉を交わしたことがない・・・
っていうか、マリオおじさんの声を聞いた事がない・・・
会話はもっぱら定子さんだけだった・・・
それなのに、今こうして鮮明に思い出すのは、あのマリオおじさんの絵に描いたようなパン屋さん姿だけ・・・
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小さな通りを、制限速度を無視したバイクが大音響と共に通り過ぎました。
その風でようやくおさまりかけていた砂煙が、また吹き上がりました。
コチサ
「ん?」
それは香ばしいパンが焼ける匂いでした。