No.754 「思い出のアルバム」 2011.12.19
 飛行機の中、頭の中で、この歌が繰り返し流れて止まりません

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 お母さん
 「サチコ、お前がわざわざ応援しに来てくれたけど、おばあちゃんな、頑張りきれんかったわ」

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 たった1ヵ月半前。

 コチサのお芝居を45分間、目を離さずに見てくれたのに・・・

 でも、それが起きていたおばあちゃんの最後だったようです。

 その次の日から寝たきりになり、ものを話すことなく、おばあちゃんは静かに息を引き取ったそうです。

 「おばあちゃん家に向う車窓から」
 「おばあちゃん家に向う車窓から」

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 いつのことだか 思い出してごらん

 あんなことこんなこと あったでしょう

 うれしかったこと おもしろかったこと

 いつになっても わすれない


 「おばあちゃんが元気だった頃は、よく電車で帰省したものです」

 いくつの時に何があったかなんて、思い出せない。

 いつもいつでも、コチサのそばに居て、たくさんの事を言葉ではなく、態度で教えてくれていたから・・・

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 春のことです 思いだしてごらん

 あんなことこんなこと あったでしょう

 ぽかぽかおにわで なかよく遊んだ

 きれいな花も 咲いていた


 「新入生になる春は、おこづかいをくれました」

 そういえば、お花が好きだったね。

 花の名前をよく知っていることにかけては、村の誰よりも詳しかったでしょ。

 おばあちゃんは、何度も何度もコチサに教えてくれたけど、コチサは「菊」くらいしか覚えなかったね。

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 ♪

 夏のことです 思いだしてごらん

 あんなことこんなこと あったでしょう

 むぎわらぼうしで みんなはだかんぼ

 おふねも見たよ 砂山も


 「夏休みは毎年泊まりに行ったものです」

 コチサはお風呂上りによく裸で駆け回っていたね。

 おばあちゃん
 「こらサチコ、お前またロップンで」

 コチサ
 「おばあちゃん、今は6分やないで、8時12分やで」

 そう言ってふざけたよね。

 ロップンは、こっちの方の方言で、「裸ん坊」のこと。

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 秋のことです 思いだしてごらん

 あんなことこんなこと あったでしょう

 どんぐり山の ハイキング ラララ

 赤い葉っぱも とんでいた


 「秋は、運動会を見に来てくれました」

 山道をおばあちゃんと歩いた回数といったら、数え切れない。

 おかげで足腰はしっかりしつつも、太っとい足の女性になっちゃったよ、おばあちゃん。

 芋掘り競争を覚えてる?

 おばあちゃんは、ゆっくりゆっくり見つけて、いつも大きい芋を掘り出してた。

 コチサはいつも、唐辛子みたいな小っちゃいお芋。

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 ♪

 冬のことです 思いだしてごらん

 あんなことこんなこと あったでしょう

 寒い雪の日に あったかい部屋で

 たのしいはなし ききました


 「金毘羅さまへも、よく行きました」

 いつもおばあちゃんは、おしゃべりなコチサのお話の聞き役。

 コチサは、典型的な内弁慶で、外ではほとんど喋らない子どもだったけど、おばあちゃんの前ではずーと話し続けたね。

 だから、大人になったコチサに、近所の人たちが、

 「あんなに無口で人見知りのサチコちゃんが、こんなお仕事するなんて考えられんわ」

 と言っているときも、ひとりニヤニヤして、

 「ホンマは、昔からおしゃべりな子やったのにな」

 と言って、コチサを見て舌を出して笑っていたんだよね。

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 一年じゅうを 思いだしてごらん

 あんなことこんなこと あったでしょう

 桃のお花も きれいに咲いて

 もうすぐみんなは 一年生


 「白髪が多くなったおばあちゃん」

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 おばあちゃんも、天国の一年生になったんだね。

 大丈夫?

 しっかりやっている?

 先に行って待っていてくれた、おじいちゃんやひいおばあちゃんが、ちゃんといろいろ教えてくれてる?

 困ったことはない?

 最初は大変だろうけど、きっとそこは住み易い気持ちの良いところなんだよ。

 だって、ひいおじいちゃんも、ひいおばあちゃんも、おじいちゃんも、誰も行ったら帰って来ないじゃん。

 大好きなサチコを忘れるくらい、気持ちの良いところなんだよ。

 だからおばあちゃんも、サチコを忘れていいから楽しくのんびりと気持ちよく過ごしてね。

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 「告別式の朝、曇り空でした」
 「告別式の朝、曇り空でした」

 お通夜に駆けつけ、告別式、そして初七日の法要まで、コチサはつきっきりでおばあちゃんのそばに居ることが出来ました。

 「おばあちゃん家に着きました」
 「おばあちゃん家に着きました」

 「黒いお茶碗でいただきます」
 「黒いお茶碗でいただきます」

 「油揚げが、まるまる一枚」
 「油揚げが、まるまる一枚」

 「斎場へ着きました」
 「斎場へ着きました」

 「続いて、初七日の法要の準備です」
 「続いて、初七日の法要の準備です」

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 火葬場で、そのボタンが押される瞬間、それまで気丈に振舞っていたお母さんが泣き崩れました。

 そうだ。

 お母さんだ。

 コチサにとって大好きなおばあちゃんは、お母さんには産んでくれた大切なお母さんなんだ。

 孫ができ、自分がおばあちゃんと呼ばれる年齢になったところで、お母さんにはお母さんなんだ。

 歳を重ねたからって、母親との別れの寂しさが癒やされるものではない。

 いくつになっても、母親との別れは辛く悲しい。

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 コチサ
 「お母さん」

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 そう声をかけたけど、

 「ずーと長生きしてね」

 の言葉は飲み込みました。

 なんだか、今は、
 その言葉を言ってはいけない気がして・・・

 「いっぱいありがとうね、おばあちゃん」「いっぱいありがとうね、おばあちゃん」

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