「バーチャルコチサこと益田沙稚子は、1970年12月21日、瀬戸内海の香りが届く香川県に農業家、益田××、××子の長女として産声をあげた。ちなみに産婆の名は「うめ」、沙稚子はこの「うめ」が取り上げた記念すべき1000人目の赤ん坊であった。この後「うめ」は故郷の五島列島に帰り、沙稚子が1歳の誕生日に1升の米をしょって歩いたという写真を手にしながら静かに息を引き取った。−(出生の秘密)
沙稚子は本名を佐知子といい、父××が熱狂的西田佐知子ファンであった為につけられた。沙稚子が生まれた年は高度経済成長のまっただ中、折しも万国博覧会が開催されており太陽の塔の顔のような(失礼!)沙稚子の顔は、次代を予言した悪魔の申し子と揶揄された−(異端児の汚名を晴らせ!)
見合いで結婚した両親はハネムーンベィビー(新婚旅行は熱海)の沙稚子の後は子宝に恵まれず、沙稚子が10
歳になった時に妹が、15歳になった時に弟が突然出来た。どちらも父××が農協の旅行から帰ってきて暫くしてのことだった。−(両親兄弟・家族構成)
2歳にして田植えのノウハウを学んだ沙稚子は、土にまみれた生活の中で自ら泥を被る役回りを自然と身につけていたのであった・・・つづく」
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