「コチシム」第4章育成作品

第4章の仮題と育成結果です

◆第4章を振り返る

第4章は、少女期の人生経験を経たコチサが、いよいよおぼろげながらも自分の将来を掴みはじめることがテーマでした。
 「声」で勝負することを、自分の夢に定めたコチサが、その実現のために首都東京に旅立つ「上京編」のPART1「上京前の故郷の人々への痛烈な印象の焼き付け」を作品にしてもらうことにありました。
 今回は「感動的」な作品が多く、はからずもコチシムの文学性が、前面に押し出された展開になりました。
 多くの作品が、「コチサがじゃべり続けることで、自ら話す才能に目覚め喜びを知っていく」という展開だったのに対し「言葉がしゃべれなくなったコチサが、プロのアナウンサーを見て、井戸の中の蛙であることに気づく」という展開で上京を捉えたところが、育成作品との境目だったと思います。
今回もたくさんのご応募ありがとうございました。
第4章の課題は以下のようなものでした。
◆タイトル:
第4章「上京−その前にひと花咲かせます」
◆テーマ:
 純真な恋心を大人の醜い世界の争いで踏みにじられたコチサは、人生ということを真剣に考えるようになります。
 自分の夢と愛する故郷を秤に掛けたすえ、夢を実現するために「東京」へ旅立つ決心をします。それには「裏切り」により深く刻まれた癒えない傷の影響もあったかも知れない・・・
 しかし故郷はコチサを、コチサは故郷を、見捨てはしませんでした。上京前に故郷の人々が、コチサを決して忘れることが出来なくなる事件が起き、コチサと故郷の結びつきは永遠に強固のものになります。

 さぁ沢山の人の涙をさそう物語をあなたの手で・・・・・

◆イベント:
・「人生−悩み−夢の実現」
・「故郷を救うコチサの存在」
・「このままでは教祖様に祭り上げられるわ−上京へ」
 の3つのイベントをうまく造って絡ませてください
(全部をむりやり入れなくても結構です)


◆参考になる実在コチサ:
有名になったときにリポーターにばれる可能性のある以下の項目は実在コチサが提供するデータを使用して下さい
・人生の指標は「哲学」書を読むことで見つけました
・高校時代は放送部に入ってDJの真似事を経験
・大学は4年制(英文科)(2年で中退して上京を決意)
(ちなみに一応ミス英文科だったのだ(^_^;))

◆第4章の選抜作品の紹介

(大垣のバンビーノさんの作品です)

「阿部を許そう」そうコチサに決心をさせたのは、今後コチサの永遠の親友となる「ニーチェス」だった。
コチサの心の傷を癒し、そしてそれ以上に人生の輝きを教えたのは莫大な数の書物と数千年の呟きを未だに活字を通して語り続ける哲学者たち、わけてもニーチェだった。
1800年代のこの偉大な哲学者は、今100年の時を経て「ニーチェス」としてコチサの中で蘇った。
コチサのこうした、人生意義的変化の前では、第1章の産婆うめも、第2章の神父さん、山田先生も、第3章の阿倍とその勢力隊も、いまでは打ち上げ花火の横でする線香花火のような存在でしかなかった。

ニーチェスは、コチサの絶対君主ではなかった。むしろ、コチサは迷えるニーチェスと共に歩み、ある時はニーチェスの弱さ、脆さを受け入れ、寛大な心でこの不世出の哲学者の過去の時代を導いてやったりした。

コチサの横には、いつもニーチェスがいた。
なぜ、土地を手放さなければいけないの?
なぜ、ゴルフ場を作らなければいけないの?

高校生になったコチサは、昼休みの憩いのDJタイムに、この問いを投げ続けた。
しかし、この学校には山田先生はいない・・・・・
高圧的な教師達により、コチサは放送室さえも占拠出来ずに排除された。
「これが1970年代だったら、まだ違った対応もあったろうに・・・」
強制排除されたコチサは、思わずニーチェスに語りかけ、
「僕たちの時代よりはましさ」
という友の言葉に勇気づけられたりした・・・・

コチサは校舎を離れ、村を歩き、某政治家よろしく靴を汚して田圃に入った。
なぜ、土地を手放さなければいけないの?
なぜ、ゴルフ場を作らなければいけないの?

田植えのおばぁちゃんたちは、屈めていた腰を伸ばし、汗を拭きながら、
「偉い人が決めたんだから、いいんだよ」
「言うとおりにしてれば、最後は助けてくれるんだよ」

誰よりも、故郷を愛し、生まれた田圃を愛したコチサはいつのまにか、こうるさい厄介者になっていた(コチサ註:作者に許可を得て、掲載後にここ書き換えました)
「そんなぁ〜」
コチサとニーチェス、二人だけの日々がまた始まった・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今まで見たことが無い虫が異常発生して、収穫前の米は全滅さ
途中で放り出されたゴルフ場開発地はいまじゃごみ捨て場で、異様な悪臭がたちこめている・・・
用水地の湧き水が干上がってなぁ
こんな村にも、大自然のバランスってあったんだなぁ〜

その後に訪れるバブル崩壊を予兆するように、ゴルフ場開発はとん挫した。
そして、村を襲う自然界の厳しいお叱り。
樹木を伐採され、裸にひん剥かれ、無様な姿をさらした山々が、「ゴルフ場建設予定地/関係者以外立入禁止」という看板を乳首のように立てられ、見せ物になって泣いている。

なぜ、土地を手放さなければいけないの?
なぜ、ゴルフ場を作らなければいけないの?

村人たちの頭に、コチサの言葉が去来する。うっとうしかったコチサの「なぜ」が、今、大きな意味を持って襲いかかってくる。
「なぜ」、あの時「なぜ」の本当の意味を考えなかったのか?
禅問答のような問いかけが、人々の心を駆けめぐる・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・

今、コチサは放送室のマイクの前にいる。教室には生徒たちが、校庭には村人達がつめかけ、コチサの声を待っている・・・・・
「ニーチェス、どうしよう」
否定的なことを言ったらこの人達は絶望的になるわ。
でも、変に期待を持たせても私は教祖ではない。
この人達が今求めているのは救いだ。
実体のない、偉い人の言うことを聞いていれば安心、という偶像崇拝が壊れたのだ。
だからって、私が新たな拠り所にされても、この人達に進歩はない。

放送室のモニターにテレビ画面が映っている。
マルコス元大統領が、亡命をしたのだ。テレビ画面では、アナウンサーの女性が喜びに震えながら「私も踊らせて」と涙を拭っている。
日本からのレポーター、安藤優子さんが、興奮の実況中継をしている
「この人達は戦ったのだ、そして勝ったのだ」
「ニーチェス、東京へ行こう、そして安藤優子さんに逢おう」
コチサは一言も語らず、マイクのスイッチを切った。モニターの音量をスピーカーにつなぎボリュームを上げる。
フィリピン市民達の勝利の雄叫びが、コチサの村に鳴り響く。喜びに沸く市民達と、成す術を知らず呆然と立ち尽くす村人・・・
校庭にコチサが現れる。
文庫本になって機動力を増したニーチェスを、ぎゅっと握りしめるコチサ。
無言のまま、歩き出すコチサ。
人の群が、スーと割れる。
そこを、黙って歩き続けるコチサ。
語らぬ指導者に、声も出ない村人達・・・・・・
・・・・・・・
あぜ道を歩くコチサ。もう付いてくるものはいない・・・・・
「東京へ行こう、ニーチェス」


◆コチサの寸評

「すげ〜」、もう絶句です。格調高い文学作品と言っていいのでしょうか?(コチサも編集でちょこっと参加したからね)
まさか「コチシム」がここまで作品として仕上がっていくとは。後半はちょっと村上龍さん入ってたかな?
でもラストの流れ、実はコチサは感動したんだ。
バンビーノさんはいつもメールは2、3行で、エッチな親父ギャグかましてた人だからとっても意外。
ただ、コメントで書いてあった「コチサのまねして長ったらしい文章にしてみました」って、無理矢理文章を繋げるのやめて。編集で苦労したんだから。
あとビジュアル関係のお仕事されてるということですが、文章からも映像主体な感覚が伝わってきました。

ただ、「コチシム」は芸術性を求めてる訳じゃないんだよ。当初の目的通り「いかにコチサを美しく、ミラクルに育成していくか」ってことなんだからね・・・そこんとこ、よろしくね。