「着るものなんてなんでもいいやい」
コチサはおばぁちゃんに手紙を書いた後、東京の甘い誘惑を断ち切り、「夢」を実現するための道を選ぶことにしました。
学校も、そんな生徒には好意的にアルバイトを回してくれます。
そして週5回程度の事務所清掃のアルバイト。
最低限の生活は確保されました。
「陽と陰」・・・そんな言葉がコチサに似合います。
着たきり雀のコチサは、黒いトレーナーに黒いジャージで電車に載り「アナウンス学校」に通います。
そして、そのまま夜の街に紛れ、大都会の陰として夜間清掃の仕事をこなします。
服は回りの人が臭いに気づきだしたら交換します。
アナウンス学校が提供してくれるバイトは華やかなものばっかりです。
指示されたテレビ局に向かい、与えられた衣装に着替え、スタジオにスタンバイします。(そこは前日清掃員として自ら磨き上げたスタジオだったりする)
芸能人大運動会で、プラカードを持ってテレビに映った姿を自分で見たときには、またコチサの中で「陽」の部分が顔を出しちょっと気持ちもぐらついたりしました。
しかしそんなことは、麻疹のようなもので、僅かばかりの「声」のアルバイトで小さいながらも拍手をもらえると、地道な今の生活に「夢の灯」を灯して生きる「頑張りコチサ」に戻ることができました。
コチサとゆみちゃんは「ダンス」と「訛り」に共通の欠陥を持つ同志でした。
二人はいつも遅くまで教室に残り練習に明け暮れていました。
「二人で山羊になろうね」
そんな約束を交わして、覚えたアクセント辞典を一枚一枚破いて食べたものでした。
排泄物に栄養素の残りより、未消化の紙の残骸が多くなった頃、
「あたし、どうせまずいもの口に入れるなら、もっとお金になるものにする」
謎の言葉を残して、ゆみちゃんは去っていきました。
アナウンス学校2年目後期、卒業試験を間近に控えた冬のことでした。
「そうだよね、こんな紙食べたって美味しくないよね・・・」
コチサもアクセント辞典だけでは超えられない発音の限界を感じ初めていたところで、ゆみちゃんの後ろ姿に明日の自分を思わず重ね合わせてしまいました。
清掃で一番困るのはPタイルに張り付いたガムなどの粘着物の処理です。
「いくら拭いたところで取れないのよ、こんなものはタイルごと根こそぎ毟らないとだめなのよ、落ちない汚れっていうのもあるのよ」
何事もポジティブに考えるコチサですが、この時ばかりはこの言葉に重なり
「あたしの発音、一生変わらないのかな?」
「あたしもゆみちゃんも、ここでは落ちない汚れなのかな・・・」
と憂鬱になりました。
「あんたさぁ〜たまにはうち達と飲みに行くべ」
清掃が終わったあと、グループの主のおばさんが誘って来ました。
「せっかくですけど・・・・・」
「嫌いじゃないんだろ、お金の心配ならいいよ、うちらが出すから」
「でも・・・・」
「すぐ、そこまで、ぼ八だよ」
「えっ?」
コチサはアルコールが苦手なため、ウーロン茶で年輩のおばさん達と席を囲みながら世間の主婦の日常会話を吸収していました。
「ほら、さっきあんた聴き返したでしょ、あれわざと「ぼ八」って言ったんだよ。あたしは田舎出身だから訛りがあるだろ、「つぼ八」って言うより「ぼ八」って言った方が相手に伝わりやすい事に気が付いてね。あんたは耳がいいから変だと気が付いたみたいだけど、たいがいの人には「ぼ八」で通じるんだよ。言葉なんて聞こえればいいんだからね」
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まぁ世の中にはドラマのようになんと「神のお告げ」があることでしょう。
コチサもおかげさまで「目から鱗」が落ちました。
アクセント辞典のように正確に発音するより、自分が聞こえるように発音すればいい。
それの方が正しく伝わる・・・・・
考えてみれば赤ちゃんだってそうして言葉を発してきたのです。
嫌なこと続きのコチサに、この事件をきっかけにして再びいいことが続きました。
ゆみちゃんの楽しそうな笑顔が、コチサを勇気付けてくれました。
風俗店紹介雑誌に、おっぱい丸出しで天真爛漫に笑うゆみちゃんの笑顔は、これまでアナウンス学校では見せたことのない楽しそうなものです。
「よかったね、ゆみちゃん。本当に楽しそう。それも本名で雑誌に出るなんて、よっぽどいい仕事なのね」
壁は壊れてしまえばあっけないものです。
卒業試験の「天気予報アナウンス」は、アドリブも交えてコチサの圧勝に終わりました。
首席卒業です。
ここを首席卒業すれば、いくつかのプロダクションへの推薦がついてまわります。
さぁ明日からは、コチサが選ぶ身分です。
好きな声を活かして仕事をし、給料が出るのです。
東京に出て2年目、コチサとその仲間達はそれぞれ新たな道を歩き出しました。
「ぼ八」では、件のおばさん達が、盛大な送別会を開いてくれました。
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